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在ホノルル日本国総領事館
Consulate General of Japan
at Honolulu

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総領事のコーナー

 

 
総領事スピーチ

 

2011年木曜午餐会での講演

「日本の選択(米中と如何に付き合うか)」

在ホノルル日本国総領事 加茂佳彦

 

(冒頭発言)

皆様新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。さて、本日会場に多数の皆様方にいらして頂きまして嬉しく思います。他方、お手元の資料に2010年の木曜午餐会の講演のテーマが掲載されています。どれもこれも肩が凝らずに楽しめる演題ばかりで本当に素晴らしいなと思いました。改めまして私の演題を顧みますに、「日本の選択」や副題の「米中と如何につきあうか」では、新年早々、堅苦しいお話に皆様に付き合って頂くことを強要してしまうことになり本当に申し訳ございません。実は、去年何度かに亘り、木曜午餐会の柳井会長から、当地の総領事は、任期中に一度は木曜午餐会で講演するのが習わしとなっているので、講演をよろしく頼むとのご依頼を受け、演題を何にするかについて、検討していたのですが、講演の依頼を受けた頃は、普天間の米海兵隊基地の移転問題で日米関係がぎくしゃくしていました。また、秋にもうギリギリなので、早く演題を決めるべしと諭され、エイやっと決めた時の話題が尖閣列島沖での中国漁船衝突事件で日中間が揺れている時でした。そのような背景がありまして、それでは、これら日本でも最も大きな関心を引いた時事問題についての講演というのが宜しかろうと、単純に考えて、「日本の選択」(米中と如何に付き合うか。)」という演題を告げたのであります。

 しかしこれは良く考えると大変難しいテーマです。考えれば考えるほど私には歯が立ちそうもない。でもなんとか繕うほか手がありません。KZOOのカラオケ大会でも、新ホレホレ節を聞かせるぞと意気込んでみましたが、歌詞と旋律を間違え、即興でその場をごまかした前科もございます。KZOOと言えば、私はKZOOの日本語ラジオ番組で月一回のトーク番組に出演しているのですが、いつも同じ話になってしまいマンネリ傾向にあります。何とか打破したいと思うのだが、必ずしもうまくいっていないのが現状であります。というわけで、マンネリ常習犯である私が遠大なテーマに挑む今回の講話は大変心もとないと言わざるを得ません。羊頭狗肉(ようとうくにく)の誹りを受けることになると危惧しますが、柳井会長のご厚意で頂戴したこの機会を出来るだけ有効に使うべく、私なりに全力を傾けたいと思う次第でございます。

本講演では、最初に「米中と如何につきあうか」につき、私が昨年講演などで断片的ながら申し上げてきたことをご紹介したいと思います。米国について言えば、「パールハーバーの日」の式典で感じた感慨を中心に私なりの米国論、米国解釈を申し述べたいと思います。中国について言えば、「尖閣問題」を切り口に、日本が抱えるやっかいで避けることのできない問題、すなわち、「中国の台頭」への対応や心構えにつき私見を述べたいと思います。そして最後に日本についても言及したいと思います。断片的ではありますが日本やアジアを取り巻く地政学的な環境の転換期に当たり、日本人が何を心がける必要があるのか、日本の課題は何か私の考えを申し述べたいと思います。

抽象的な表現で申し上げましたが、今日これからお話しする私の講演の結論を手短に言ってしまえば、具体的に次の二点でございます。それは、日本の課題としては、先ず物事を戦略的に観察し、吟味するということが一層大切になるだろうということ、第二は、歴史認識を深化させる必要があると言うことです。これだけのことです。この結論に到達できるように、お話を進めて行きたいと思っております。

当然のことながら、本日の私のお話は、日本国政府や外務省の公式見解ではありません。私の個人的な感想でございます。前置きが長くなりましたが、最後にもう一つ申し上げます。今日の講演では、私の拙い話だけで終えるのはもったいないと思いますので、できれば私のお話は早めに切り上げて皆様方のご意見やご質問などを拝聴し、それにお答するインターアクティブな時間にしたいと思っています。今日のテーマに直接関係のないご質問も歓迎致したいと思います。さて、前置きが本当に長くなってしまいました。本題に入りたいと思います。

 

(米国論)

 米国論と言っても全般的なお話は私の手に負えません。そこで「パールハーバーの日」という切り口から米国に接近してみたいと思います。パールハーバーのあるホノルルに暮らす日本人にとって、毎年12月になると気が滅入ってきます。新聞には毎年必ず特集記事が掲載され、どんなに避けようとしても第二次大戦に纏わる歴史問題と直面せざるを得ないからです。何せ、パールハーバーといえば、米国の国民的熱狂の現場そのものですし、それは、開戦直後も今も変わりがありません。パールハーバー・デーの日にはどんな顔をしていればよいのか、私も一昨年初めてパールハーバー・デーの式典に出席することになり不安感を拭い去ることができませんでした。

ホノルル着任以来、当地で、第二次大戦の歴史認識問題に「晒される」機会が複数回ありました。その最初が、9月2日の戦艦ミズーリ号船上での降伏文書調印記念式でした。その後、秋には、海軍舞踏会、海兵隊舞踏会に招待され、そこでもちょっとした遭遇がありました。そして勿論12月7日のパールハーバー・デー式典です。これらの機会を通じ、パールハーバーのレガシーを日本人としてどのように「飲み込む」かにつき、自分なりの感想を抱きましたので、それをお話します。

これらイベントにおいて共通していることは、真珠湾でもミズーリ号でも生き残りのベテランがいることです。彼らを無条件で顕彰することが大きな目的となっているということです。他者が彼らの勇敢な戦いぶりを称えたり、自らが戦闘中のエピソードや活躍の様子を述べたりして、在りし日を偲びます。必然的に、日本は悪役ですが、準主役でもあります。日本の代表が居辛くなるような対日非難集会にしないように主催者側も気を配ってくれています。

他方、ベテラン顕彰の要素とともに、リカバリーの成果を強調することも重要な要素になっています。戦後の日米安保体制に基づく日米の信頼関係の醸成は地域の平和と繁栄の基盤を与えており、戦火を交えた国同士が戦後築きうる関係としては望みうる最善且つ模範的なものであると称えることを忘れていません。ベテランの愛国心への尊敬と将来に向けた日米安保関係の重要性強調の二つのバランスをうまく取っています。

「日米良く戦へり」の感慨を抱く米軍ベテランは多いと思います。人間死期が近づけば身辺整理をしたくなるものです。勇猛果敢な米軍ベテランも日本軍と和解して死にたいと思う人が出てきても不思議ではありません。日本側もしかりです。和解に向かう気持を大切にすることで双方が益すると思います。他方、戦争責任や、戦争の背景、日本の開戦意図など、本格的な歴史認識につき一般の米人が抱く考えを変えることは容易ではありません。米側にすれば、これはもう勝った戦争で、終わっていることなのだと思います。指摘を受けても、まともに取り合わず、多分、日本は反省が足りないと思い込むだけでしょう。こういった複雑な問題を掻い摘んで外国語で説明することは至難の業ですし、そもそも米側資料は秘匿されているものも多く事柄の全貌を掌握することが困難な状況にあり、意味のある意思疎通を実現する上で制約があり過ぎます。勝てないケンカはやらないとしても、それではいつでも笑うことを強要されているピエロみたいではないかと嘆かれる人もいらっしゃるでしょう。私は、日本はピエロではなく「善き敗者」として振舞ってきたと思います。既存の秩序に挑戦することによるのではなく、現在の国際構造、国際ルールを尊重しつつ、自ら戦勝国の作った戦後の国際関係ゲームの規則に率先して従って、そこで業績をあげることで自己主張をしてきたのです。我が国が今日、平和を享受し繁栄を謳歌できるのも、「善き敗者」作戦が奏功した面があると思います。

米国の戦後の対日政策は、米ソ関係の変化のなかで大きく方向転換し、それが日本にとって幸いしました。当初米国は、戦後も日本を完全に無力化状態に置き、できるだけ国力の回復を阻止するための対日政策を策定し、実施していました。この対日政策がその後も続いていたら、日本の復興もかなり時間が掛ったものと思われます。現実には、ソ連が戦後の欧州を巡って米国に対し主導権争いを仕掛けてきて、戦後世界は米国の当初の目論みとは異なる展開となりました。この事態を受け、米国は、日本を無力化する作戦を放棄し、むしろ、対ソ前線の前方展開拠点として日本を育てていく作戦に方向転換しました。この対日政策の大転換があったからこそ、対日講和条約も自衛隊創設も沖縄返還も実現したわけです。この大転換を齎してくれたのが、あのソ連だったとは、歴史の皮肉としか言いようがありません。

事実が必ず歴史として認定され、後世に残るわけではありません。これまでの人類の歴史を通じて、敗者は手の内をすべて晒されてしまい、勝者には情報操作を行い自分に有利な歴史を叙述する権利が事実上与えられてきました。第二次大戦に関しても、連合国側は大なり小なり、この既得権を行使して第二次大戦をシールし、前に進んでいます。日本もそれを受け入れるより他に現実的な選択肢はありませんでした。中国(国民党政府)も連合国側の一員ですから、日中戦争の歴史記述に関して、慰安婦とか南京事件更には靖国参拝問題を含め歴史認識問題でこの事実上の権利を行使しているわけです。中国が日本に対して歴史カードを安心して使うことができる大きな理由は、アメリカがそのカードを配ってくれたからです。アメリカと中国は戦勝国同士で、戦勝国として共同して歴史認定の作業に当たりました。

歴史が事実に依拠するよりも、時の政治状況により叙述されてきたことは、古今東西の常でした。それは事実の集積が不十分であったことと無関係ではないようにも思われます。事実は敗者の友です。政治状況は移ろいますが、事実は不変です。歴史的事実を出来るだけ忠実に叙述する努力は、今後も続けられるべきものです。パールハーバーに象徴される20世紀中葉の日本の失敗の歴史も、歴史家の間で未だ諸々の議論があり、その意味で歴史として完全に確立されているわけではありません。我々は、諸々の考慮から公論として今それを主張せずとも将来のその時に備えて、本来歴史の最も核心的な要素であるべき事実関係の新たな発見や採集に心がけ、それを良く吟味し、整理、蓄積しておく必要があると思います。それが日本人の文化力とも言うべきものでありましょう。

 

(中国論)

 さて、次の中国論ですが、これも、遥かなる高みが連なる山脈に分け入るが如しで、中国の専門家でもない私には本来手に負えません。そこで今回は「尖閣事件」の一穴から垣間見える中国につき私の拙い感想を申し述べたいと思います。

2010年の話題と言えば、普天間であり、尖閣でした。普天間問題が迷走して日米同盟関係がぎくしゃくしたことは、日本の鳩山民主党政権にとって不幸でした。その日米関係と日本の政治状況を見透かすように尖閣中国船衝突事件が発生しました。日本の領海内で公務執行妨害の違法行為を犯した中国船船長を逮捕、拘留した処置に対して中国側が常軌を逸した過剰反応を示し、次々と外交カード(民間交流禁止、レアアース輸出禁止、日本人拘束)を繰り出して、日中の外交問題に発展しました。事件は、日本側が折れた形で、船長を処分保留のまま釈放しましたが、中国は暫く凄んでようやく拘束した日本人を解放しました。日本政府の対応は、日本国民に批判され管内閣は支持率を落としました。日本が中国の恫喝に屈する例となることを懸念する声も聞かれました。中国は、その強引かつ独善的な行動により各国の警戒心を呼び覚まし、その「平和的台頭」が宣伝スローガンであることを端無くも示してしまいました。また本件で中国が示した行動は日米の不況和音が齎したものと見ることが可能であり、東アジアの平和安定を保証する存在としての米国の重要性が図らずも示されることとなりました。

尖閣諸島は日本の固有の領土であす。日本が19世紀末に同島を国際法手続きに則り日本領に編入して以来、日本が実効支配しています。現在は、無人島ですが嘗ては鰹節工場があり、日本人数百人が居住していました。領土問題は存在しないのです。戦後の人民日報や中国の地図には尖閣諸島は日本領との記述も見られます。歴史的に見て、中国が尖閣の領土主権を主張するようになったのは、60年代にエカフェの調査で付近の水域で天然資源埋蔵の可能性が指摘されてからです。1970年代初めに台湾、それに続いて中国が尖閣の領土主権を主張するようになりました。

中国の主張はエスカレートし、近年は、各種手段による現状変更を試みています。日本の国際法的権利や実効支配の現状を無視する身勝手な領海法を制定したり、中国漁民の領海侵犯の取り締まりを怠ったりしてきています。今回の紛争で中国は、日本の司法権に挑戦することにより、力による現状変更路線を更に追求しました。漁民を先頭に立てて事を起こし、領土紛争があるように偽装し、過剰反応で国際世論の注意を惹き、宣伝する戦略です。事情の疎い人は勘違いしてしまいます。実際それを狙っているのです。あとは、自国民保護の名目で実力行使の機会を伺い、既成事実を積み上げて、日本の実効支配に徐々にチャレンジして行く。この中国の19世紀的な熱情に世界はどう向きあって行くべきか。隣国の日本だけでなく、世界全体の問題でしょう。

今回の中国の露骨な強圧外交は、安全保障に対する日本人の甘い現状認識に対する一つの警鐘となりました。日中友好とか友愛の海とか観念的な理想主義が意外に当てにならないということを改めて思い知る機会となりました。米国まかせのお気楽安保で済んでいた時代が終わりつつあるとの告知でもありましょう。160年前ペリー提督による砲艦外交が日本に一時代の終焉を告げました。尖閣は、それに匹敵する事件であった可能性があります。

日本がすべきことは、観念ではなく力(実力)を用意することでしょう。日米安保の強化や周辺国との戦略的関係強化もその一つでしょうが、中核は、自助努力でありましょう。自前で離島警備を強化したり、防衛予算を増強したり、観念的平和主義から実効支配の確保・維持のための有効な態勢づくりに心を砕くことが求められているのです。

日本と中国の複雑で微妙な関係は、実は他者には分かりにくいだろうと思います。一種の愛憎関係であります。ここ150年で日本は中国を抜き去り、アジアの盟主として振舞ってきました。日本も今の中国のように、高揚し、舞い上がり、失敗もしました。しかし、先駆者としていばら道をつけてきたことも事実です。中国の反日の原点がどこにあるのかといえば、日中戦争時代の旧日本軍の傍若無人な振舞いにあるとよく指摘されます。日本軍進駐に対する反発もあるでしょうが、私は、米国に一人敢然と戦いを挑み、日中戦線でも強さが際立った日本への畏怖にあると思います。現在の中国国民の示すヒステリーは歴史教育というか共産党の自国民への宣伝が中核にあると言わざるを得ません。何故共産党は日本だけ取り上げ宣伝するかと言えば、色々理由があるのでしょうが、日本への国民の憎悪感情を植え付け、それを操作することで、政権運営の一つの装置として利用することが共産党のDNAとして確立しているからです。それで対日戦を何とかしのぎ、蒋介石も退け、中国に共産党王朝を築いたからで、反日はいわば国是なのです。

さて中国というと色々なイメージが沸き立ちます。一人ひとり思いが違うかも知れません。それだけ、中国が複雑で、把握が難しく、また、我々の知識も十分でないということなのだと思います。

中国に関して、資本主義の取り込みが進み経済発展が深まれば、自ずと政治的にも一党独裁から民主主義の方向に進むであろうという楽観論がございました。他方、現実には経済の進展にも拘わらず、一党独裁体制が変わる兆候は見られません。これまでのところ、中国共産党政権は、経済は経済、政治は政治の言わば独立変数化して、巧みな政権運営をしていると思われます。すなわち、

日米欧との経済の互恵関係を構築することと共産党一党独裁政権を維持することを両立させることに成功していると思われます。加藤徹先生は「貝と羊の中国人」という一般向けの書物の中で、中国人には、古代中国で柔軟な発想で商業活動を興隆させた商(殷)の文化(貝がシンボル)と原理・原則を貫く立場から政治的・軍事的な統制・規律に長じた周(北方民族)の文化(羊がシンボル)の二つが民族的なDNAとして現在に受継がれており、商人と武人という一見相反する資質を夫々矛盾することなく両立させているのが中国人であると喝破されています。

さて中国が台頭する東アジアの21世紀を生き抜くためには、中国、チャイナへのより深い知識を身につけることが重要です。中国に責任あるステークホールダーとしての自覚を促す上でも相手を良く知ることが必要となってきます。ところが中国のことは意外と良く知られていないのです。中国、中華、シナ、夫々同じことなのか、違うのか。漢民族という概念もございます。中国関連の議論では、中国なり中国人というときに、国のことか土地のことか、誰のことか常に確認して行きませんと、正確な議論ができないのです。実際、このように色々とある中国関連の概念を正確に押さえておかないと、事実と異なる都合のよいイメージをつまみ食いされかねません。チャイナの地に栄えた文化(漢字文化)の継続性が、どれだけ、同地で覇を唱えた王朝や国家としての継続性に反映されるべきなのか。落とし穴がいたるところにあり、常に吟味して掛る必要があります。例えば、現在の中華人民共和国は、清がその全盛期に影響下に置いた地域を自らの領土主権主張の基礎に置いていると言われます。本当にそれは正統な主張なのか、吟味が必要です。現在の中華人民共和国の支配者である漢族は清朝を支配した満州人を異民族であると認識し、中華人民共和国を清朝とは異なる王朝であると認識しますが、領土・領海の主権を主張する時は、直前の中華民国ではなく、清朝の最盛期に実現した版図と基礎に主張しています。「中国」は、と言う時に、国の中国のことか、地域のチャイナか、共産党政権のことか、中国人民のことか、現在の中華人民共和国のことか、過去の王朝のことか、よくよく吟味する必要があります。日本に生まれ、日本人の民族国家で、全員同じ文化に属する日本の場合は、日本と言えば、すべてが同じで思い違いをしようがありませんが、中国は必ずしもそうでないことを覚えておいて欲しいと思います。

もう時間がなくなってきました。中国については、キリがないのでこの辺で終わりにします。とりとめのないお話になってしまったことをお許し下さい。

 

(日本論)

 さて、最後に日本論です。「日本の選択」とのテーマを掲げましたが、日本の課題は何かという観点から、二、三の論点を取り上げ、簡潔に私見を述べてみたいと思います。

 先ず、第一は、米中の隣人を良く観察し、知ることです。21世紀の日本の未来を確保してゆくためには、日本の近隣である東アジアで圧倒的な影響力を有する米国と中国の国家戦略や国益についてよく観察して知ることが大事です。例えば、米国は、超大国として全世界の国家との間で複雑な利害関係を持つ国です。日米同盟の主宰者ではありますが、この同盟関係も当然国家戦略から導きだされた一つに解なのです。

米国の対アジア基本戦略は今も昔も地域覇権国の出現を阻止することにあります。100年前、日本の日露戦争勝利の後、米国は日本がアジア地域の覇者になることを警戒しました。第二次世界大戦は、いわば、中国(蒋介石)との同盟関係を日米で争う形の勢力拡大競争となり、中国が日本でなく米国と手を組むことを決めたことが国益衝突の原因となり、実際の日米戦争にまでエスカレートしてしまいました。日本は、西欧列強から「列強クラブ」入りを拒まれ、ならばと大東亜共栄圏構想を掲げて日本を中心とするアジア人共栄圏の確立を目指そうとしましたが、蒋介石が米国の支援を得て国内の主導権確立闘争に勝利するため戦い抜くことを選び、頓挫しました。日中戦争は、日中双方の理由により、正式な宣戦布告がなされずじまいでしたが、中立国の義務から逃れた米国は、武器や軍事顧問団を中国に送り込み、中国を実質的に支援しました。フライング・タイガーによる空爆支援も実施されています。米国とすれば、弱い中国に肩入れして日本と中国の「東洋連合」の成立を阻止したかったわけです。この「日中分断」は現在に至るまで米国の東アジア政策の基本政策となっていると思われます。

日米同盟は、米国の対ソ連政策の一端を担う装置として導入されました。米国はここでも弱い日本に肩入れしています。ソ連崩壊により、日米同盟の従来の意味が減じたわけですが、湾岸などの地域紛争対処で有効性を発揮しました。100年前は日本を牽制したのですが、今度は、中国台頭の新事態対処に弱い日本に肩入れする構図になっているのは歴史の皮肉です。

現在はこのような戦略環境下にあり、日米同盟の存続にとっては順境と言えそうですが、日米同盟が自動的にその存続を保証されているかといえば、そうとも言えないと思います。この弱い勢力への肩入れにより、地域覇権国の出現を拒む戦略が奏功する間は、確かによいのですが、この戦略が有効ではなくなるほどに中国が影響力を増してきたときは、米中で東アジアの勢力分割をすることの方が現実的、乃至、合理的と考えるかも知れません。20世紀初頭のモンロー主義がその一例でしょう。欧州との間で欧州事情に口を出さない代わりに、中南米における米国の特殊利益を認めさせた前例もあります。鳩山政権の東アジア共同体構想は、米中による覇権競争を見越して、日本が両者を天秤に掛ける立場にあることを暗喩したと米に取られて不興を買った面がなきにしもあらずという感じがします。

第二は軍事アレルギーを克服することです。第二次大戦後、米の世界戦略の中での立ち位置を得て、日本の安保が定まりました。それ以来、日本は太平を謳歌し、経済発展に国の関心と資源を投入してきました。軍事面、防衛面では物心両面の備えを欠いてきたと言わざるを得ない状況でした。今、その副作用に動揺し始めています。尖閣問題は、軍事力に対する観念的忌避を決め込みがちな日本人への警鐘です。交渉によるソフトパワー力を増すためにはハードパワーが必要であることが白日の下に晒されました。日本が核兵器を持たないのは日本国民の選択として意味がありますが、その日本の平和(安保)が米国の核の傘により最終的に担保されている事実、そのような国際環境下に日本が存立していることに目をつぶるのは無責任と言わざるを得ません。自衛隊の役割の国民的認知を深めることや列島周辺部での戦略環境変化(中国の海洋進出、北朝鮮の脅威等)に対応した防衛力の整備が必要だと思います。

最後に第三の論点としてTPP(トランス・パシフィック・パートナーシップ)への加入の重要性を指摘してみたいと思います。急に話が、具体的なプロジェクトのレベルまで細かくなってしまうようですが、このTPPへの対処振りは、将来の日本の選択を左右する意味を持つ可能性があると思うのです。

 よく日本は地震型社会だと言われます。日本列島に地震が頻発するということではなく、日本の社会が最後の最後まで粘って一つの型を崩せないでいるが、ある時点でついにはどすんと大破局を迎え、そこから大変革を始めると言う意味で、地震に例えるわけです。どうも我々は、漸進的、予備的な変化をうまく取り込みつつ社会を変革することが苦手なようです。今の閉塞感を打破するための機会として、TPPへの参加が有効ではないかと考える次第です。農業既得権の保護が戦後の日本政治の顕著な特徴の一つでした。自民党政治も民主党政治に交代しました。でも農業既得権保護の姿勢は変わっていません。日本の政治を変革する上で最も効果のある施策の一つが農業既得権へメスを入れることでしょう。日本社会への「地震」を引き起こすために、戦争や国の財政破綻などのハード・ランディングを進んで迎え入れることは本末転倒です。調和的にハード・ランディングを回避して目的を達成するに越したことはありません。農業既得権へのメスは、直接国政変革に繋がり、世代間格差という現在日本の抱える最大懸案への対処の助走となり得ます。消費税増税や社会保障問題(年金、医療費)への本格的取り組みを可能にするためにも、TPP導入により齎される新風が有効だと思うからであります。

 新春のおめでたい席をお借りして、ながながと肩の凝る話に終始してしまいました。皆様のご清聴に感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

 

 

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(了)