ウェルカムパーティーでの伊藤総領事の挨拶
平成29年10月31日
キズナ・グループの皆様、ハワイの日系人の皆様、ハワイで生活する日本人の皆様、
こんにちは、そしてアロハ。本日は、私と家内の美砂子のために、このような盛大な歓迎のレセプションを開催して頂き、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。また、本日は、多くの日系人および日本人の皆様と一同に会することができて、本当にうれしく思います。
私は10月8日にホノルルに着任し、3週間が過ぎました。太平洋の西の彼方、中国の北京からやって参りました。米国で生活するのは、大学院で学んだ1988年以来、ほぼ30年ぶりです。また、前回ハワイを訪れたのは、もう25年前のこととなります。当時から外務省で働いており、ハワイには数日間の出張で参りました。経済協力に関する日米政府間の協議に出席するためだったのですが、ずいぶん昔のことであるので仕事の中身は忘れてしまいました。しかし、ハワイを訪れるために乗った飛行機の中の出来事は、しっかりと覚えています。当時日本の外務省は職員の旅費を抑えるために、若い職員が海外に出張するときに、しばしば一般の団体観光旅行に参加させておりました。私が25年前にハワイに来たときもそうで、私が参加したグループは、私以外は、全員が幸せそうな様子でハネムーン旅行に向かう新婚のカップルたちでした。飛行機に乗ると、客室乗務員が、一人だけスーツにネクタイを着けていた私に向かって「本日は何組のカップルがいますか。」と質問をし、私は何のことか分からず彼女に「今、何とおっしゃいましたか?」と質問を返しました。私は、ハネムーン旅行を引率する旅行代理店の職員と間違われたのでした。
皆様、
私は1984年に外務省に入って以来、ずっと職業外交官としてこれまで仕事を続けており、東京と外国での仕事を何回か繰り返してきました。外国での勤務は足し合わせると18年前後になり、その内12年以上が中国や台湾での勤務、そして残りが、スイスのジュネーブ、マレーシアです。米国でも1年間生活しましたが、勤務ではなくハーバード大学院での研修でした。
米国は世界において日本の最も重要なパートナーです。今から数ヶ月前、北京の日本大使館で勤務していた当時、私は総領事としてホノルルに転勤するようにと非公式に伝えられました。米国内に日本が総領事館を置いている都市は14ありますが、その中でもハワイは日本と歴史的な結びつきが最も深く、日米の親善と友好にとって大変に重要な場所であることは知っていたので、これからハワイで仕事ができることを大変にうれしく思い、また、光栄であると思いました。しかし、これまでの職業生活において、ハワイのことに詳しく触れる機会があったわけではありませんし、ハワイに知っている人がいるわけではありません。これから、大急ぎでハワイのことやハワイをめぐる日米の関係について、勉強を始め、また多くの人の話を聞かねばならないと思いました。
皆様、
ハワイにおける日米関係を理解するには、何よりも先ず、ハワイの日系人の皆さんに関する歴史を学ばなければなりません。ホノルルに来る前に、横浜にある海外移住資料館を訪れる機会がありました。また、ホノルルに到着後は、このハワイ日本文化センターにある展示、「おかげさまで」を視察し、パンチボウルとマキキ墓地を訪れ、献花をしました。マキキ墓地では、本日も参加されている明治会の皆様に大変にお世話になりましたことにお礼を申し上げます。横浜の資料館とハワイ日本文化センターの展示では、日本の各地からハワイに来た一世の人たちが、炎天下のサトウキビ畑の中で労働を行った様子が当時の写真や農機具を使って展示されており、生まれて初めて外国に渡った彼らが、ことばも生活習慣も違う中で日々重労働を行ったご苦労がしのばれるとともに、やがて彼らの勤勉さが、当地の日系人が良きアメリカ人として尊敬を受けるようになる基礎を作ったことを強く感じないわけにはいきませんでした。
また、パンチボウルには、故ダニエル・イノウエ上院議員の長時間にわたるインタビューを収録したDVDを見た後に訪れました。真珠湾攻撃が行われ、両親の出身国である日本が、自分たちの国であるアメリカと戦争を始めたのを見て、二世の彼らの心中の苦悩はいかに大きなものであったでしょうか。そして、彼らは祖国アメリカに忠誠を示すために、自ら進んで軍隊に志願し、ヨーロッパ戦線で激戦を戦い抜き、多くの犠牲者を出しました。パンチボウルに訪れると、そこに眠る日系人二世の兵士の墓に記された年齢は、20歳をようやく過ぎた若者がきわめて多数いることに気がつきます。私も外務省に入り、アジアでの勤務を続ける中で、過去の歴史の問題、国家と個人の関係、また現在の平和の尊さを考える機会が少なからずありましたが、ハワイのパンチボウルを訪れ、そこに眠る多くの日系人兵士の皆さん、米軍兵士の皆さんの墓を前にたたずむと、言葉では表せない万感胸に迫るものがありました。
皆様、
そして今、日本と米国の関係は世界で最も重要な二国間関係となり、太平洋を挟む我々の偉大な国は、友好と親善に基づくしっかりとした関係を打ち立てています。日本と米国が今日のような素晴らしい関係は、一世から始まるハワイの日系人の皆様の長年にわたる並々ならぬ努力、また、ハワイで働く日本の各界からこられた皆様の努力があったからこそ出来たのであると思います。来年は、ガンネンモノと呼ばれる日本から最初の移民がハワイに到着をして150周年に当たり、既に、多くの日系人や日本人のグループや団体が一年を通じて150周年を記念する様々な行事を計画中であるとうかがっておりますが、特に、みなさまキズナ・グループは、その実行部隊の要となる、重要な存在であると認識しています。私としても、これから引き続き多くのことを皆様から学び、また自分で考えながら、150周年事業の成功に向けて総領事館の同僚とともに取り組んで参りたいと考えています。私自身としては、150周年という節目の年に、少しでも多くの日本人と、当地日系の4世、5世、6世と若い日系世代やその他のエスニック・グループも日本とハワイの交流、或いはハワイにおける移民の歴史に関心を持ち、日本とハワイのこれまでの歴史を振り返り、将来の日本とハワイの関係や融和社会ハワイ自体の未来を考えてもらうきっかけになれば、大変素晴らしいことであると考えています。
これから皆様方とともに、日本とハワイのために働けることを大変に楽しみにしております。マハロ、そしてよろしくお願い申し上げます。
こんにちは、そしてアロハ。本日は、私と家内の美砂子のために、このような盛大な歓迎のレセプションを開催して頂き、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。また、本日は、多くの日系人および日本人の皆様と一同に会することができて、本当にうれしく思います。
私は10月8日にホノルルに着任し、3週間が過ぎました。太平洋の西の彼方、中国の北京からやって参りました。米国で生活するのは、大学院で学んだ1988年以来、ほぼ30年ぶりです。また、前回ハワイを訪れたのは、もう25年前のこととなります。当時から外務省で働いており、ハワイには数日間の出張で参りました。経済協力に関する日米政府間の協議に出席するためだったのですが、ずいぶん昔のことであるので仕事の中身は忘れてしまいました。しかし、ハワイを訪れるために乗った飛行機の中の出来事は、しっかりと覚えています。当時日本の外務省は職員の旅費を抑えるために、若い職員が海外に出張するときに、しばしば一般の団体観光旅行に参加させておりました。私が25年前にハワイに来たときもそうで、私が参加したグループは、私以外は、全員が幸せそうな様子でハネムーン旅行に向かう新婚のカップルたちでした。飛行機に乗ると、客室乗務員が、一人だけスーツにネクタイを着けていた私に向かって「本日は何組のカップルがいますか。」と質問をし、私は何のことか分からず彼女に「今、何とおっしゃいましたか?」と質問を返しました。私は、ハネムーン旅行を引率する旅行代理店の職員と間違われたのでした。
皆様、
私は1984年に外務省に入って以来、ずっと職業外交官としてこれまで仕事を続けており、東京と外国での仕事を何回か繰り返してきました。外国での勤務は足し合わせると18年前後になり、その内12年以上が中国や台湾での勤務、そして残りが、スイスのジュネーブ、マレーシアです。米国でも1年間生活しましたが、勤務ではなくハーバード大学院での研修でした。
米国は世界において日本の最も重要なパートナーです。今から数ヶ月前、北京の日本大使館で勤務していた当時、私は総領事としてホノルルに転勤するようにと非公式に伝えられました。米国内に日本が総領事館を置いている都市は14ありますが、その中でもハワイは日本と歴史的な結びつきが最も深く、日米の親善と友好にとって大変に重要な場所であることは知っていたので、これからハワイで仕事ができることを大変にうれしく思い、また、光栄であると思いました。しかし、これまでの職業生活において、ハワイのことに詳しく触れる機会があったわけではありませんし、ハワイに知っている人がいるわけではありません。これから、大急ぎでハワイのことやハワイをめぐる日米の関係について、勉強を始め、また多くの人の話を聞かねばならないと思いました。
皆様、
ハワイにおける日米関係を理解するには、何よりも先ず、ハワイの日系人の皆さんに関する歴史を学ばなければなりません。ホノルルに来る前に、横浜にある海外移住資料館を訪れる機会がありました。また、ホノルルに到着後は、このハワイ日本文化センターにある展示、「おかげさまで」を視察し、パンチボウルとマキキ墓地を訪れ、献花をしました。マキキ墓地では、本日も参加されている明治会の皆様に大変にお世話になりましたことにお礼を申し上げます。横浜の資料館とハワイ日本文化センターの展示では、日本の各地からハワイに来た一世の人たちが、炎天下のサトウキビ畑の中で労働を行った様子が当時の写真や農機具を使って展示されており、生まれて初めて外国に渡った彼らが、ことばも生活習慣も違う中で日々重労働を行ったご苦労がしのばれるとともに、やがて彼らの勤勉さが、当地の日系人が良きアメリカ人として尊敬を受けるようになる基礎を作ったことを強く感じないわけにはいきませんでした。
また、パンチボウルには、故ダニエル・イノウエ上院議員の長時間にわたるインタビューを収録したDVDを見た後に訪れました。真珠湾攻撃が行われ、両親の出身国である日本が、自分たちの国であるアメリカと戦争を始めたのを見て、二世の彼らの心中の苦悩はいかに大きなものであったでしょうか。そして、彼らは祖国アメリカに忠誠を示すために、自ら進んで軍隊に志願し、ヨーロッパ戦線で激戦を戦い抜き、多くの犠牲者を出しました。パンチボウルに訪れると、そこに眠る日系人二世の兵士の墓に記された年齢は、20歳をようやく過ぎた若者がきわめて多数いることに気がつきます。私も外務省に入り、アジアでの勤務を続ける中で、過去の歴史の問題、国家と個人の関係、また現在の平和の尊さを考える機会が少なからずありましたが、ハワイのパンチボウルを訪れ、そこに眠る多くの日系人兵士の皆さん、米軍兵士の皆さんの墓を前にたたずむと、言葉では表せない万感胸に迫るものがありました。
皆様、
そして今、日本と米国の関係は世界で最も重要な二国間関係となり、太平洋を挟む我々の偉大な国は、友好と親善に基づくしっかりとした関係を打ち立てています。日本と米国が今日のような素晴らしい関係は、一世から始まるハワイの日系人の皆様の長年にわたる並々ならぬ努力、また、ハワイで働く日本の各界からこられた皆様の努力があったからこそ出来たのであると思います。来年は、ガンネンモノと呼ばれる日本から最初の移民がハワイに到着をして150周年に当たり、既に、多くの日系人や日本人のグループや団体が一年を通じて150周年を記念する様々な行事を計画中であるとうかがっておりますが、特に、みなさまキズナ・グループは、その実行部隊の要となる、重要な存在であると認識しています。私としても、これから引き続き多くのことを皆様から学び、また自分で考えながら、150周年事業の成功に向けて総領事館の同僚とともに取り組んで参りたいと考えています。私自身としては、150周年という節目の年に、少しでも多くの日本人と、当地日系の4世、5世、6世と若い日系世代やその他のエスニック・グループも日本とハワイの交流、或いはハワイにおける移民の歴史に関心を持ち、日本とハワイのこれまでの歴史を振り返り、将来の日本とハワイの関係や融和社会ハワイ自体の未来を考えてもらうきっかけになれば、大変素晴らしいことであると考えています。
これから皆様方とともに、日本とハワイのために働けることを大変に楽しみにしております。マハロ、そしてよろしくお願い申し上げます。